マガダン (Magadan)
20世紀初頭からロシア帝国は極東での資源探索を進めており、現在のマガダンから300km北のコリマ川上流に金の鉱山(コルィマ鉱山)を発見していたが、厳しい気候と不便な交通から開発は進まなかった. ソビエト連邦時代になってコルィマの開発計画が立てられ、オホーツク海北部のタウイ湾(タウイスカヤ湾)奥のナガエフ湾に港を作ってコルィマへの玄関とすることになった. こうして1929年にナガエフ湾岸の現在のマガダンの位置に町が建設された.
この町は極東の強制収容所や強制労働の拠点になった. 1932年にはマガダンに流刑者の強制収容所が建設された. その後、300km北のコルィマ鉱山への道路がつくられ、さらに、1700km離れたヤクーツクとも道路で結ばれて、次第に市街地が形成された. 1939年には正式に市となった.
1953年には新たに設置されたマガダン州の州都となった. スターリンの時代には、流刑者はまずインディギルカ号などの護送船でマガダンに送られ、強制労働に従事するべくここからシベリアの各地へ送られていった. 1996年、犠牲者を悼む慰霊碑「悲しみのマスク」が建設された.
その後、ペレストロイカによる対外開放の進展に伴い、外国人に開放された. 経済混乱や僻地であることから人口の急減が起こり、1989年に15万人だった人口は2008年に9.6万人となっている.